学校の先生をしていた私が、まさか自分の子どもの不登校に向き合う日が来るとは思っていませんでした。
「なんで我が子が」という戸惑い。 「私が教員なのに」という恥ずかしさ。 「早く学校に戻さなければ」という焦り。
でも今振り返ると、教員経験があったからこそ、誰よりも早く受け入れることができたと思っています。
この記事では、元教員である私が我が子の不登校をどう受け止め、どう向き合ってきたかを、できるだけ正直に書いています。
今まさに「学校に行きたくない」と言う我が子を前に、どうしたらいいか分からなくて苦しんでいるお母さんに、少しでも届けばと思います。
3年生まで、何も問題はなかった
娘は小学3年生まで、ごく普通に学校に通っていました。
宿題も多くなく、友だちとも普通に遊んでいて、特に心配することもない毎日。
教員として「不登校の子」をたくさん見てきた私でしたが、まさか自分の子がそうなるとは、正直、頭の片隅にもありませんでした。
4年生で、突然変わった
転機は小学4年生になったころ。
学年が上がるにつれて、宿題の量も内容も一気に難しくなりました。勉強も複雑になり、授業についていくのに必死な場面が増えてきました。
娘は「きっちりやること」がとにかく苦手でした。
宿題をやらないといけない。 時間通りに動かないといけない。 決まったことをこなさないといけない。
そういう「ねばならない」の積み重ねが、娘にとって大きなストレスになっていたのだと思います。
「いじめられている」と言い出した
行き渋りが始まったころ、娘は「いじめられている」と言い出しました。
私から見ると、それはよくある女子どうしのいざこざで、娘自身も相手に何か言っていることもありました。お互い様な部分がある、というのが正直な見立てでした。
でも、娘の言葉を聞いた祖父母は違いました。
孫がかわいいから心配する気持ちは分かります。でも、私に相談もなく、学校にいじめ事案として連絡を入れてしまったのです。
担任の先生は私がよく知っている先生でした。 だからこそ、余計に複雑でした。
「ちゃんと相談できる関係だったのに、クレームという形で話が伝わってしまった」
その後、学校との関係が少しぎこちなくなり、相談しにくい雰囲気になってしまいました。これは、今でも悔やんでいることのひとつです。
怒鳴って、行かせようとしていた時期
正直に言います。
行き渋りが始まったころ、私は娘を怒鳴って学校に行かせようとしていました。
「なんで行けないの」 「みんな頑張ってるんだから」 「早くしなさい」
教員として、何人もの不登校の子どもを見てきた私が、です。
仕事では穏やかに対応できていたのに、我が子のこととなると全然違いました。
焦りがあったのだと思います。 「このままにしていたらどうなるんだろう」という不安。 「私が何とかしなければ」という責任感。
でも、怒鳴れば怒鳴るほど、娘の顔はこわばっていきました。
「不登校でいい」と決めた日
ある日、私は決めました。
「不登校でいい。学校に行かなくても、人生は終わらない」
そう決めてから、祖父母にも伝えました。 「行かせなくていい。がんばらせなくていい」と。
これができたのは、おそらく教員経験があったからだと思います。
現場でたくさんの不登校の子どもを見てきました。 受け入れてもらえた子は、ゆっくりでも前に進んでいった。 無理に行かせようとした子ほど、こじれていった。
それを知っていたから、「いい意味で諦める」ことができたのだと思います。
「宿題をしていなくても気にしない」 「高校も今は通信制という選択肢がある」 「色んな道がある」
教員として現場で見てきたからこそ、そう思えた。
全部やめて、身軽にした
「がんばらせない」と決めてから、娘を取り巻く環境を一気に変えました。
- そろばんをやめた
- 通信学習をやめた
- 習い事を全部やめた
「これをやらせなきゃ」「将来のために」と思ってやらせていたことを、ぜんぶ手放しました。
最初は不安でした。 「このまま何もしなくていいのか」 「遅れを取り戻せなくなるんじゃないか」
でも、身軽になるにつれて、娘の表情が変わっていきました。
日に日に、明るくなっていった。
笑うことが増えた。 好きなことに夢中になるようになった。 「あれやりたい」「これ食べたい」という言葉が出てきた。
あのころ怒鳴り続けていた私には、想像もできなかった娘の姿でした。
娘の「本当の困りごと」が見えてきた
身軽にして落ち着いてきたころ、娘の特性が少しずつ見えてきました。
おそらくADHDとHSP(HSC)の傾向があります。
- 決まりごとや「ねばならない」が苦手
- 感覚が敏感で、刺激に疲れやすい
- 自分のペースが乱されると、気持ちが崩れやすい
学校という場所は、こういう子にとってとても過酷な場所です。
毎日決まった時間に行く。 大勢の中で過ごす。 宿題を毎日こなす。 苦手なことでも頑張る。
それを「普通のこと」として求められる環境に、娘はずっと消耗していたんだと思います。
精神科への受診も検討しましたが、「がんばらせることをやめる」という選択をした結果、受診しなくても日々が安定してきました。
診断名がつくことよりも、その子に合った環境を整えることの方が大切なのかもしれない。
教員として子どもたちを見てきた経験から、そう感じています。
元教員として、正直に思うこと
教員をしていたとき、不登校の子の親御さんと話す機会がたくさんありました。
みなさん、本当に苦しそうでした。
「どうしてうちの子だけ」 「何か私が悪かったのかな」 「早く学校に戻してあげないと」
その気持ち、今なら本当によく分かります。
でも今、親の立場になって思うのは、
「学校に行けない」は、その子のSOSだということ。
怒鳴っても、励ましても、その子のしんどさはなくならない。
むしろ、受け入れてもらえた安心感の中でこそ、子どもは少しずつ動き出していく。
それは現場で見てきたことだし、我が子を通して身をもって経験したことでもあります。
学校に行かなくても、大丈夫
最後に、今まさに悩んでいるお母さんへ。
学校に行けない我が子を見て、焦る気持ちはよく分かります。 「このままでいいのか」という不安も、当然だと思います。
でも、学校に行かないことは、人生の終わりじゃない。
高校も、大学も、仕事も、今は色んな道があります。
それよりも、今この瞬間、子どもが安心して笑えているかどうか。 それが一番大切なことだと、私は思っています。
元教員として、そして不登校の子を持つ親として、この経験が誰かの「それでいいんだ」という気持ちに繋がれば、うれしいです。

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