不登校の子どもを抱える家庭で、意外と語られないことがあります。それは、きょうだいへの影響です。
真ん中の子が不登校になり始めた頃、私が一番心配していたのは、下の子のことでした。同じ登校班で一緒に学校に行っていたのに、ある朝ぼそっと言われた一言——「お姉ちゃんは休めるのに、なんで私は行かなきゃいけないの」。そのとき、正直どう答えればいいかわかりませんでした。
この記事では、きょうだいがいる家庭での不登校の現実と、私がその時に伝えた言葉、そして今意識していることを、包み隠さず書きます。

「ずるい」って言われた朝のこと、今でも鮮明に覚えてます。あの一言の重さが、ずっと頭に残っていて。

きょうだいへの影響って、なかなか表に出てこないですよね。不登校の子だけじゃなく、家族全員が揺れているんだということ、もっと知ってほしいなと思います。
▼一番上の子は「巻き込まれなかった」——でもそれは運だった

わが家は3人きょうだいです。一番上、真ん中、一番下。真ん中の子が不登校になり始めたとき、一番上はすでに中学生でした。
学校が違う、生活サイクルも違う。だから直接巻き込まれることはなく、一番上は淡々と毎日登校を続けていました。
正直、これは助かりました。一番上が変わらず学校に行く姿は、下の子たちにとって「学校に行くのが普通」というお手本になっていたと思います。朝の玄関で「いってきます」と出ていく姿が、どれだけ下の子の気持ちを支えていたか。そのことに気づいたのは、しばらく経ってからです。
ただ、これはたまたまでした。もし年齢がもっと近ければ、同じ学校に通っていれば、同じことが一番上にも起きていたかもしれない。「助かった」と感じると同時に、それは運でしかなかったとも思っています。
▼下の子が「ずるい」と言い出した日

問題は、真ん中の子と同じ登校班で一緒に学校へ行っていた下の子でした。
ある朝、真ん中の子が「今日は行かない」と言い出したとき、下の子がぼそっと言いました。
「ずるい」
その一言で、いろいろなことがわかりました。下の子は、ずっと我慢して登校班に行っていた。
学校に行きたくない日も、しんどい朝も、「お姉ちゃんは休めるのに」という気持ちを飲み込んで、それでも毎日ランドセルを背負っていたんだと。
お姉ちゃんが休むことに、下の子は納得できていなかった。それは当然のことだと、今は思います。子どもにとって「公平」はとても大切な感覚です。
同じ家に住んでいて、同じ登校班で行っていたのに、なぜ自分は行かなければいけないのか——
その疑問は、むしろ真っ当だと思います。

「ずるい」って言葉、頭ではわかってたんです。でもいざ言われると、なんて返せばいいのか全然わからなくて、しばらくフリーズしてしまいました。
▼お姉ちゃんが休む翌日は、下の子も休みがちになる現象

これ、わが家で実際に起きていたことです。
真ん中の子が学校を休んだ翌日、下の子も「お腹痛い」「ちょっと疲れた」と言い出すことが増えました。最初は気のせいかと思っていましたが、何度も続くうちに「これは連動している」と気づきました。
考えてみると、当たり前のことかもしれません。お姉ちゃんが家にいる。自分は学校に行かなければならない。その「差」を毎朝感じながら登校するのは、子どもにとってかなりのストレスです。
「体調不良」は本物の不調ではなく、気持ちが体に出ていたのだと思います。
子どもは「行きたくない」を言語化できないことも多い。だから体が代わりに訴えていたんだと、今はそう受け取っています。
不登校は、その子だけの問題ではありません。きょうだいの気持ちにも、直接影響します。それを実感したのが、この時期でした。

「連動する」という現象、他のご家庭からも聞くことがあります。下の子が「行かなくてもいいんだ」と学習してしまうこともあるし、単純にしんどさが伝染することもある。きょうだい間の影響って、思っているより大きいんです。
▼真ん中の子には、発達特性もありました

ここは書くかどうか迷いましたが、正直に書きます。
真ん中の子には、自閉傾向・ADHD傾向があります。口ごたえが多い。テンションが上がるとうるさい。本人に悪気はなくても、下の子に対してきついことを言ってしまうこともありました。
下の子からすれば、「お姉ちゃんは学校に行かなくていい、なのに家にいると機嫌が悪いと当たられる」という状況です。これは、かなりしんどい環境だったと思います。
発達特性のある子は、感情のコントロールが難しいことがあります。特に不登校の時期は、本人も不安定になりやすい。家の中で八つ当たりしてしまうことも、珍しくない。でも、それをぶつけられる側の子どもにとっては、理不尽に感じて当然です。
「ずるい」という気持ちの裏には、こういう複合的な負担もあったと思います。単純に「学校に行けていいな」という羨望だけではなく、「なんで私ばっかり我慢しなきゃいけないの」という、もっと深いところにある疲れが積もっていたのだと、今は感じています。
発達特性については、きょうだいに対してどう説明するかも悩みどころでした。「お姉ちゃんは特性があるから」と説明しすぎると、下の子が諦めてしまう。でも何も言わないと、理不尽さだけが残る。そのバランスを取るのが、本当に難しかった。
▼私が言った言葉——「あなたの人生はそれでいいの?」

下の子が「ずるい、私も休みたい」と言ったとき、私はこう言いました。
「あなたの人生はそれでいいの?」
そして、こうも言いました。
「お姉ちゃんと同じ人間になりたいの?」
きつい言葉だと思います。教育的に正しいかどうかもわかりません。
でも、その場で出てきた、嘘のない言葉でした。
下の子は「それは嫌だ」と言いました。お姉ちゃんが学校に行けていないことを、下の子はちゃんとわかっていた。「ずるい」と言いながらも、本当はお姉ちゃんと同じにはなりたくない、という気持ちも持っていた。その二つが同時にある、ということが、その一言でわかりました。
子どもの「ずるい」は、単純な羨望じゃないんです。「私のことも見てほしい」「私がしんどいことにも気づいてほしい」というメッセージが込められていることも多い。私の言葉がそれに答えられていたかは、今でも自信がありません。

あの時の言葉が正解だったかどうか、今でもわからない。ただ、あの子が「それは嫌だ」って言ってくれたことで、私の中の何かが少し楽になった気がしました。
▼これは正解じゃないかもしれない

下の子は今も踏ん張って学校に行っています。でも、これが正解だとは思っていません。
姉妹を比較するような言い方は、本来は避けたほうがいいとよく言われます。
「お姉ちゃんと同じになりたいの?」という問いかけは、比較を誘導している側面もある。
下の子が将来「あの時の言葉」をどう感じるかも、まだわかりません。
それでも、わが家にはこういう瞬間があった。それを隠さずに書いておきたいと思いました。
「こうすれば大丈夫」という答えより、「うちもこんな感じだった」という共有のほうが、誰かの役に立つこともあると思うから。
不登校の渦中にいると、きょうだいへの影響まで丁寧に向き合う余裕がないことも多いです。
毎朝、不登校の子の状態を確認して、仕事の準備をして、下の子を送り出して——それだけでもう、いっぱいいっぱいになってしまう。
「下の子のケアが足りていない」と感じる罪悪感も、ずっとありました。でも、完璧にやれなくても、向き合おうとしていることは伝わると、今は信じています。

罪悪感って、消えないんですよね。でも罪悪感を持てているということは、それだけ子どものことを真剣に考えている証拠でもある。完璧じゃなくていい、向き合っていることに意味がある、と私は思っています。
▼きょうだいがいる家庭で、私が意識していること

今、気をつけていることがいくつかあります。完璧にできているわけではありません。でも、意識しているだけでも、少し変わってきたことがあります。
まず、下の子だけと過ごす時間を、短くてもつくるようにしています。不登校の子のそばにいる時間が自然と長くなるので、意識しないと下の子との時間が削られていきます。登下校のときに少し一緒に歩く、夕食後に二人で話す——そんな小さなことでいい。「あなたのことも見ているよ」が伝わる時間を、意識してつくるようにしています。
次に、「お姉ちゃんは特別だから」という言い方をしないようにしています。
発達特性があることや、学校に行けていないことを、下の子に対して説明するときに、「だから特別扱い」という構図にしないよう気をつけています。特別扱いに見えること自体は避けられませんが、「特別だから我慢しなさい」というメッセージを下の子に向けないようにしています。
そして、下の子の「ずるい」という気持ちを否定しないようにしています。
最初は「そんなこと言わないの」と止めてしまいそうになる。
でも、まずは「そう感じたんだね」と受け取ることを意識しています。気持ちを否定されると、子どもは次第に本音を話さなくなる。「ずるい」という言葉は、SOSのサインかもしれないから。
完璧にできているわけではないし、今も試行錯誤の途中です。でも、下の子の気持ちを見ないようにすることだけは、しないようにしています。
▼下の子への声かけで、私が変えたこと

以前は、朝の声かけが「早く行きなよ」「もう時間ないよ」ばかりになっていました。不登校の子の対応に追われていると、下の子への声かけが雑になってしまう。
あるとき気づいたのは、下の子に「今日どうだった?」と聞く機会がほとんどなかった、ということです。
不登校の子の様子は毎日気にかけているのに、学校に行けている下の子のことは「大丈夫だろう」と思って、あまり聞いていなかった。
学校に行けていることが「普通」で、「問題ない」と判断してしまっていた。
でも、下の子にとっては毎日がんばっている。そのがんばりを、ちゃんと言葉にして認めてあげることが、できていなかったと反省しました。
それからは「今日学校行けたね、えらかったね」という言葉を意識的にかけるようにしました。当たり前のことに聞こえるかもしれません。でも、「当たり前を当たり前に流さない」ことが、きょうだいがいる家庭では特に大切だと感じています。

「がんばって行ったね」って言うようにしてから、下の子の顔つきが少し変わった気がします。ちゃんと見てもらえていると感じたのかな、と。
▼「ずるい」と言える関係であることは、悪くない

最後に、一つだけ付け加えておきたいことがあります。
下の子が「ずるい」と言えたことは、ある意味ではよかったのかもしれないと思っています。もし言えなかったら、そのまま溜め込んでいたかもしれない。我慢して、笑顔でいて、ある日突然崩れていたかもしれない。
「ずるい」という言葉は、私に対して本音を言える関係があったということでもある。それだけは、大切にしたいと思っています。
不登校の家庭では、どうしても不登校の子に意識が集中します。それは仕方のないことです。でも、きょうだいもその家族の一員で、同じように揺れています。「大丈夫そうだから」という判断で、見えないところでしんどさを抱えていることがある。
私にできることは、完璧な対応ではなく、「見ている」と伝え続けることだと思っています。

「ずるい」って言えるきょうだい関係って、実は信頼関係の証でもあると思います。言えなくなったときのほうが、もっと心配。言葉にしてくれたことを、まず受け取ってあげてほしいです。
▼まとめ

不登校は、その子だけの問題ではありません。きょうだいがいる家庭では、他の子の気持ちも一緒に揺れます。
「ずるい」という言葉が出たとき、それを否定せず、でも流されもせず、向き合う。正解はわからないけれど、わが家はそうやって進んでいます。
きょうだいの誰かが学校に行けなくなったとき、他の子も同じように影響を受けている。その現実を知っているだけでも、少し違った向き合い方ができるかもしれない。この記事が、同じような状況のご家庭に、少しでも届いたらうれしいです。

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